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2014.05.18 21:00|*作家さんインタビュー
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(モチーフがかわいいクロスステッチのビスコーニュ)

―小さなころから、手作りに囲まれた生活だったと伺っていますが。

はい、母が洋裁・和裁・編み物など、なんでも手づくりしていましたので。
手作りのものが、周りにあるのは当たり前でしたね。
それが特別なことだと思わず…むしろやらねばならないくらいの感覚で。
小学生でセーターを編んで、シーズンになったら一枚は編んでいました。
母はごはん終わると家族団らんの中で手を動かして何かを作っていました。
今の自分のスタイルと同じです。
だから私にとっては生活の中で何か作っているのが自然ですね。

―Keikoさんが初めて手作りしたのは何か覚えていますか?

覚えています。
幼稚園のとき、長編みでマフラーを編みました。
がたがたでやり方が分からないのが悔しくて泣きながら。

―じゃあ、外遊びはあまりしなかった?

いえ、そんなことはなくて、普通に。
どっちかというと体育会系です。
部活はバスケ・バレー、部長もやりました。
あと、テニス・スキー・OLになったらゴルフ。王道ですね(笑)

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(長い間、使い続けている道具たち)

―お友達とは「手作りしているんだよ」みたいな話はしなかったんですか?

いえ、友達は知らなかったと思いますね。
でも家に帰れば母の横でミシンいじったりとか。
話題にもならなかったんです。
学校の家庭科では
たとえばパジャマ作りでもポケットの周りをパイピングテープで囲ったり、
先生の許してくれる範囲でやっていましたね。

―私だったら隣の友達がそんなことやっているのを見たら、びっくりしちゃいそうです…。そして、学校を出られて…。

OLを7年間やりました。
庶務とエンジニアアシスタントでした。時代がバブルで。
私、半沢直樹と同期なんですよ。バブルの最後組。

―あのころは、習い事ブームでしたよね。

はい、周りは、フラワーアレンジメント・ソムリエ・英会話…華やかな時代でしたね。
そのころは手作りが今ほど世の中になかったですよね。
なんだろう?今と時代が違ったというと変ですけど。。。 

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(クロスステッチをやっているところを見せて頂きました^^)

―でも、ご自分で作ったものは身につけたりなさっていたんですよね?

うーん、着ていたかなー?
作っていた、ってことは着ていたと思うんですけど。
あまり記憶にないんです。

―でも、ご結婚なさって、退職後、ヴォーグ学園で編み物を学ばれたのは?

そうですね…ヴォーグ学園に行ったのも思いつきが80%なんですけど、
ひとつには子供を産む前に、
編み物の資格を取っておいたほうがいいかなと思ったのはあります。
あと、勤めていた会社でエンジニアという専門職の中で自分が無能でショックだったのがあります。
そこで、私にはせっかく小さいころからやっていた編み物があるじゃないかとちょっと思ったんです。
漠然とですが、資格にしておこうと。
日本ヴォーグ出版の手編みの本を母が読んでいたりして、小さいころからおなじみだったですし。
それで1年通学して日本編物文化協会指導員の資格を取りました。

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(文字がかわいいタグも)

―専門的に手作りを学ぶというのはどうでしたか。

分かっていると思ったことも、ちゃんと教ると違いましたね。製図も初めて学べました。
1年間に図案から13作品と小物を編みました。
かぎ編み・棒編み・アフガン編み・レース編み…
母から教わっていたものを、改めて一から学びましたね。
一日みっちり授業があって、生徒は同じ世代が中心。
専門学校出たての方、子育てを終えた世代の方もいましたね。
いまはもっと人気があるんじゃないかな。そのころは直前でも入れて、願書ギリギリに出したんですよ。

―そこではじめて、手作りという共通の話題ができる環境に出合ったんですね。

そうですね。
それまで手編みの話しができる人もいなかったし、その頃の仲間とは今でも付き合いがありますね。
あ、1人、私が紹介した方とご結婚したり、そういうご縁も(笑)

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(見ているだけで楽しいカラフルな糸)

―修了後はどうなさりましたか?

そのあと、ニットの仕事…本のアシスタントや、デザイナーさんから「ここだけ編んでほしいんだけど」
みたいなバイト…をやりました。でも妊娠してすぐやめてしまったんです。

―短い間とはいえ、編み物という専門分野で仕事をしてみてどうでしたか?

同じ編み物でも、学校で習ったのは「手作り」の分野。
デザイナーさんは「服飾・ファッション」の分野…
やっぱりちょっと違うんだな、と思いました。
学校では「編む」ということに主眼が置かれていて「私はこっち側だな」。
ただひたすら、「編みたい」、「編むのが楽しい」。

―編むのが楽しい、ですか。「編む楽しみ」ってkeikoさんにとってどんなものでしょう。

「編む楽しみ」…うーん、私、感覚的なんですよね…「編む楽しみ」かぁ。。
あんまり考えたことないけど…ただ楽しいです。
よく先生は編み物を「一本の糸から紡ぎあがる…」とか表現しますが、
あんまりそんなに壮大な感じはしない、ただ楽しい。

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(普段使いの道具たち)

―ただ、楽しい。本当に自然ですね。

逆に、今教えていてみなさんの感動を目の当たりにして、教えてもらっている感じです。
初心に帰るというか。生徒さんがモチーフをひとつ編み上げた時の感動を見て

「あーそうか。。」

自分は小さい時からやっているから初心がずっと昔すぎて。
特にヴォーグ学園卒業後は、むずかしい編み方を追求したり、
早く仕上げたりすることばかりを気にして行き詰っていましたから。

―なるほど。…それからご主人の海外赴任に伴って香港へ行かれたんですね。

はい。
そのとき家に飾ってあったクロスステッチの額を見てお友達が「教えてほしい」と言われたのが教室の始まりです。

―今まで編み物のお話だけでしたが、クロスステッチはどこで習われたのですか?

ヴォーグ学園にいた時、クラスがあって習おうと思ったんですけど、
先生に「あれは簡単だから自分でやれるわよ」と言われて自分でやり始めたんです。
それで、いちばん最初に作ったのが、方眼編みの図案をクロスステッチにアレンジして作った、
さきほどお見せした子どもの誕生記念の作品。
そのあとが次にお見せした野菜の作品ですね。

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(2番目に作ったとは思えないほど素敵な野菜の作品)

―えー、初めての作品で、あんなにレベル高いんですか!しかも図案をアレンジしちゃうなんて…すごい!

で、その子どもの誕生記念の作品を飾っていたら、お友達に「教えてほしい」と言われたんですね。
それからどんどん教室が拡がって行って。

―海外生活はいかがでしたか?

華やかな部分もあるけど、食事ひとつとっても大変でしたね。子ども抱えて。
まあ、日本のスーパーがあるところにはいたので、ほかの国に比べればよかったかもしれませんけど…
でも、子どもが小さくて親に頼りたい時期でしたけど、そうもいかなかったし。
ちなみにそのころは、編み物などの手作りどころじゃなかったですね。
毎日生活に追われて、手が回らなくて、子どもを追い掛け回して1日終わっちゃう。
2人目を向こうで出産して、そのあとに教え始めたんですけど、教えながらも自分では作ってなかったです。

―そういう状況の中で「教えて」という手作りのきっかけがあってよかったですね。

うれしかったですね。育児は本当に大変なので。
主婦でもなく、家のことでもなく、子どものことでもない、

『私の時間』『私の世界』でした。

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(ツルカワさんとケイコさん)

―反面、教える難しさというのはありましたか?

初心に帰りました。
作る技術・教える技術・そして今では売る技術も。この3つの技術が全く別で。
当時教えた方からは「レッスン代をとってほしい」と言われましたが
教える自信がつくまでは絶対に取らないと決めていました。
自分の中で、“教える技術”の研修期間だと思ったんです。

初めはいろいろな質問にちゃんと答えられなかった。みなさん求めるものが違いますからね。
私のスタイルを押しつけてはいけないし、
反対に私のスタイルに期待する方もいる。
技術を求める方もいれば、手作りの雰囲気を求めたい方もいますし。そのへんのさじ加減が難しいです。

―LUPOPOにはいつ出合われたんですか。

帰国して、ママ友を中心に手づくりサークルみたいにやっていて…
そのとき、生徒さんに教えてもらってLUPOPOへ行ったんです。
「先生、出してみたら」って言われて。
でも、しばらくは育児で精いっぱいでまったく納品できなかった。
家で作っている途中のものがいつも気になっている感じで。
それに、「売る」というのがはじめてで、模索しましたね。むずかしいなーと。
オリジナルのむずかしさというのがありますよね。
どこまでがOKなのか、図案を引っ張ってきて作ればいいというわけでないし。
あと、BOXのなかでこの人は何を表現したいか…ということを客観視したときに、私は最初バラバラで。
それで、模索していくうちに
『大げさな刺繍でなく、ちょこっとした刺繍でも生活の中で楽しめるよ』
ということを打ち出していきいなと。

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(ケイコさんがクロスステッチで作ってくれたLUPOPOの額縁)

―keikoさんの作品には、いつも生活がそばにあるんですね。

日常使うキッチンクロスにワンポイントの刺繍とか。
お針仕事をする方におすすめなのは、余り糸で作る雑巾。
お針箱に布をいれておき、余り糸を捨てずに布にぬいつけるといつのまにか雑巾ができる。
これは母が教えてくれて、母は祖母から教わったそうです。
こういう昔ながらの身近な感じから離れられないですね、生活に密着している。

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(余った糸で少しずつ出来ていく素敵な雑巾)

―ちなみにクロスステッチと編み物の違いや魅力というのは?

クロスステッチのほうが手軽ですかね、私の感覚ですけど。
暑い夏はリネン布にクロスステッチをして、
冬になると自然に毛糸が恋しくなって、編み物に手が向く。
両方とも伝統的な技術です。
長く続いていてきて残っているものであることが魅力。
編み物などの雑誌でそのものの成り立ちとかを読むのが好きなんです。
たとえばクロスステッチにアルファベットサンプラーが多いのは、
フランスで昔、共同の洗濯場で洗濯物リネン類が見分けがつくように、
イニシャルやモノグラムを刺していたからだそうです。
布製品が貴重だった時代背景とか、ていねいな暮らしぶりが想像できて。

編み物もたとえばアランセーターは防寒着がなかった時代に、
いかにして羊毛で丈夫で暖かい防寒着を編むかという生活の必要性から生まれたそうです。
漁師町では航海海の安全を祈る願いのこもった模様が生み出されたりしています。

そういったものにあやかりたいというか、憧れがあります。
こういうことをちょこちょこ教室でも話しながらレッスンするんですけど、
でもすごく長くなっちゃうんですよね(笑)

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(お誕生日のカードにも)

―現在、どんな教室をやられているのですか?

クロスステッチはLUPOPOさんのものづくりカフェや自宅でのフリーレッスンを、
かぎ針編みは通販のフェリシモの
『みんなのクチュリエ教室』の先生として活動しています。
基本的に自宅を使っての『おうちレッスン』で、
この冬はこたつ席が人気でした。

いま立ち上げているのは、
『かぎ針編み・赤ちゃんニットの会』
「赤ちゃんのために編みたい」というのは「身近な人のために編みたい」という事、
手作りのきっかけとしてとても素直なところかと思うので、そのための時間を作りたくて。
それでクロスステッチのほうも、赤ちゃんが生まれた時の記録を刺繍する

『記念日フレーム』という作品を試作中なんです。

かわいらしいものや大きいものは市販でもあるんですが、
次第にインテリアにマッチしなくなっちゃうんですよね。
そこで長く飾れるデザインで、小ぶりなポストカードサイズで試作しています。

その試作品の“記念日”を自分の生まれた時のものにしてみたんですね。
そうしたら、「ああ、生まれてくる赤ちゃんのためだけでなく…
自分のものをお母さんに感謝をこめて作るもよし。
誰かのために作るのもよし。
それこそペットのでもいいんだな」とひらめいて。

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(くねくねになった毛糸をまっすぐにしてくれる道具)

―なるほど。子どもを産む方だけでなくても、だれでも、作れますね。

いまの女性の生き方って多様なので、いろんな方に使ってもらえたらな、って思いがありますね。

―そういえば、LUPOPOでは豆本作家のヨンネさんとコラボしてらっしゃいますね。

そう、あれは…ビビッときたんですよね。
ヨンネさんから「やりませんか」って言われて、即答。
年甲斐もなく飛び上がって「やります、やります!」
刺繍は額に入れるとか、布製品にするとかが定番ですが、
そのほか仕立てるか、というのが悩ましいんですよね。
それが本になったら素敵だな!と思いました。
それで丸い豆本の表紙として、材料を提供することにしました。

―コラボして見て、新しい発見はありましたか?

刺激的でしたね。
ヨンネさんはそれこそたくさん講座をやってらっしゃるしプロフェッショナルなので。
ブログの始め方、教室の続け方…いろいろ相談して、いろいろ教えてもらいました。
そしてコラボで生まれかわった作品、うれしかったですね。自分のものじゃない気がして。
なんというか、いつも自分のものが褒められてもピンと来ないのですが、
みなさんが「わー!」と言っているのを聞いて「そうなんだー」って。これからも期待に応えたいです。

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(古本と手製本 ヨンネさんとの豆本コラボ)

―作家さん同士の交流はどうですか?

若い方ばっかりで…やっぱり教えてもらっています。これも刺激的ですね。
だってバブルの頃は、手作りブームって考えられなかったですよ。
だから、若い方の姿勢がうらやましいです。着実で。
私たちの時代は、お金をかけることしか考えなかったんですよね、ブランド品とかにね。
手作りを素直に好きだなと、ステキだなと思っている若い方の感覚が、ステキだと思います。

―ご家族はkeikoさんのことをどうご覧になっていると思いますか?

家族ですかー!…家族は、主人と息子ふたりなんですが、「またお母さんがなにか作っている」って見ていますが、
自分ではあまり作りたがらないですね。
男の子なので外に行っちゃう。

―でも、何か作ると喜んだりはしないんですか?

喜ぶんですけど、「ありがとーイエイ!」ポイ、って感じで(笑)
あまり大切にしてくれないんです。
家族分のコースターを作って、飲み物を出してもそのうえにグラスが戻ってこないし(笑)
そのコースターを丸めながらテレビを見ている感じ。ガサツな男だらけなので。
大きくなってどう思うかなー?ぜんぜん染み込まないかもしれないですね…。

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(ちょっとワンポイントのステッチでかわいくコースター代わりに)

―いまは生活と手作りの時間配分はうまくいくようになりました?

子育ては落ち着いてきましたが、時間を作り出すのは悩みの種です。
すきまの時間で手づくりをしています。
講座とかも土曜にやりたいですけどね。まだ、ちょっと自由にならないかな。
家のことはきりがないし。メリハリは出ますね。
「この時間制作したい」と思えばささっと片付ける。

―手作り自体をやめたいと思ったことはありますか?

やめたくなることはないんですけど、壁にぶつかることもあります。
何を作ればいいか分からないとか、レッスンがうまくいかなかったときとか、
生徒さんから申し込みが来なかったときとか。へこみますね。
でもせっかくだから続けようと思うのは、
私、20代の10年間のうちOLを7年間やりましたけど、
40代も同じ10年間あるんですよね。違う時間の流れに思えるけど。
だからやろうと思えばやれるんだな、って感じなんですよね。
40過ぎると求人もなくなってきて「ああ~」って思うことはたくさんありますが、
でも時間がまだまだ残っているんですよね、同じ分量。まだ10年働ける。20年働ける。
そんなにあせらずにゆっくりやっていこうと思います。
それにこの間、手編みの雑誌にアイスランドのおばあちゃんで、100歳超えた現役ニッタ―さんの記事が載っていて。
それに比べたらまだまだ。理想ですね。

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―作品を受け取ってくれた方に伝えたい「想い」はありますか?

伝えたいこと…。
「かわいいー!」でいいです。「うきうき!」で。
ちょっとテンションあがってくれれば。
私も、同じようなものを友達にあげるんですが、「わー!」って言われる。その瞬間ですね。
それだけでいいと思っちゃう。
求めてられているって大事なことですから。
誰からも必要とされてないんじゃないか、と思ったりすることもありますよね、誰しも。
でもその時にひとから「わー!」って言われると、嬉しいというその瞬間。
そう、
世田谷区長さんのツイートで最近よく「若者の自己肯定感が希薄である」という話題があるんですよね。
自分をもっと認めてあげようよ、もっと自分を大事にって。ということだと思うんですけど。
先ほどお話した『記念日フレーム』もそういうものになれば。
教えている立場からすれば、手作りすることで自分を好きになったり、
そういう技術を私が与えることができたら、ステキですよね。

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―自分を大事にする手段が手作りにある、って考え、本当にステキですね。では、これからやりたいこと、作りたいもの
とかは?


フィレレース…アンティークレースの図案なんですけど、
クロスステッチで再現できないかなあと思っていて。こつこつと大作が作れないかなと。
日がな一日、時間に追われることなくやりたいですね…もうちょっと歳取ったら。…
天使とか好きなので、天使シリーズなんていいかな。あとはアイスランドのおばあちゃんみたいに現役でいたいです。

―ぜひ、実現してください。楽しみにしています。では、夢ってありますか?

健康、ですね。自分の健康を含め、家族の健康、ペットの健康…
ヴォーグ学園の先生にも言われたんですけど、それがないと手作りを楽しめないんですよね。
あと、生活が基盤なのできっちり続けたい。今の形を継続させることが夢ですかね。

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―ありがとうございました。最後に、同じくものづくりをする人へのメッセージを。

伝えたいことですかー。そうですね、
これから手作りを始める人へ言えることとしては…
「仕上がりがきれいじゃないから、恥ずかしい」とか皆さん必ずおっしゃるんですよね。
でもそれはまったくOKだと思っていて。
今、何でも市販で手に入る世の中、世間に立派なものはあふれている。
そこで手作りする意味ですよね。
売り物みたいに作らなくていいよ、『作りたい』『誰かに作ってあげたい』そういう気持ちを忘れずに、大事にして。
そして、技法にとらわれず、続けていくといいんじゃないかと思います。

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(お子さんが産まれたときに作ったはじめてのクロスステッチの作品)


ケイコさんのブログはコチラ→クロスステッチと手編みのこと

ツルカワヨシコさんのブログはコチラ→きらめくあなたが、好きだから。

(2014.3.10 LUPOPO café&Galleryにて 聞き手 ツルカワヨシコ)
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2013.12.14 07:58|*作家さんインタビュー
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―小さい頃から絵を描くのがお好きだったんですか?

絵を描くのは好きでしたが、本格的に描き始めたのは、ここ20数年間でいうと、本当に最近です。

―では、そこに至るまでの道のりをお話しいただけますか?

幼・小・中・高とまったくタイプが違う子で…
まず幼稚園では、お遊戯とか本番でまで練習しないで、すっごく怒られても、本番になるとできちゃうタイプ。

小学校では、おとなしくて…ちっちゃかったですね。
お母さんからもらった500円とかで鉛筆とかシール集めをするのが好きで。
でも、幼稚園から習いごとはかなりやっていました。
ピアノ・水泳・書道・そろばん・英語・ダンス。
自分からやりたいとか、友達がやっていたからやりたいとか言って。
一回はじめたらやめたいというのはあまりなかったです。

今から考えると面白いのは、小学校の先生がすごい字がきれいだったんですよ。
で、小1~2年生で行書体にあこがれました。あまり小学生はあこがれないと思うんですけどね。
好奇心は旺盛だったかもしれません。
絵は落書きでセーラームーンとか好きだったのでそういうのを描いたり…
自然の絵のコンクールで服のデザインのような絵で賞を取ったことはありました。
小学生の佳作ですけど。でもお仕事にしたいとかはとか思ってなかったです。

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(力強く色鮮やかな原画)

中学校は受験したんですね。今でも仲良くて繋がっている友達が多くいます。
部活には入らずスクールバスで帰って、駅で赤ブドウのジュースを飲むのが楽しみ。
という地味な生活でしたけど(笑) 

中高一貫だったんですけど、高校も受験して別の女子高へ行きました。
いろいろ知っている人の中で出来上がっている自分のイメージを、
同じ環境で変えていく勇気がなかったので、
新しい場所にいってみたかったんですね。嫌なことがあったわけではないのですが。
逃げたわけとかでなく、この『今』を新しいものに変えていきたいと思って。

高校はダンス部に入部しました。3年間楽しかったです。
それに、自分の気持ち的にですが,部活の中でグーンと成長した時期がありましたね。
人に見られるのが恥ずかしいという想いがあると、振りが小さくなって、自信がないようにみえるなと思い、
ひたすら練習しました。肉離れするまで。
先輩とかほかの人に認めてもらいたいって思ったので。それで少しずつ度胸や勇気が付いてきました。

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(『みんなでシェア企画展vol.12』DMの原画と)

―いろんな環境でちょっとずついろんなものを得ていったんですね。で、高校卒業後、グラフィックデザインの専門学校に飛び込んだわけはどのへんにあったのでしょう?

高校生の時期って進路が漠然としていて当たり前とは思うんですけど、受験ってなったとき、保育系の学校だったのでそのつもりではいたのですが…「何か違う」と思って、3年でクラスを変わったんです。
それでいろいろ思い返して、部活で文化祭用の壁画を描いたとき、自分がそれが好きで、率先して描かせてもらったことを思い出したんですね。

ダンス部なのに、絵でほめられると嬉しい自分に気付いて。
そこで、絵が好きだということが分かりました。

その時、美大も頭をよぎったんです。
でもお金かかるし、私勉強嫌いで、奨学金払っていく自信はなくて。
それに、みっちり専門的に絵だけをみっちり学べるほうが自分にはいいと思って専門学校を選んだんです。
で、体験入学行ったら先生方が楽しくて、受けることに決めました。

母が合格発表日に「うちの子受かっていますか?」って電話で聞いちゃって…ちょっと恥ずかしかったかな(笑)

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(カゴ一杯になったいつも使っているペンの一部。お家にはまだまだあるそうです。)

―なるほど。飛び込んだ専門学校はいかがでした?

グラフィックデザインというのがよくわからないまま入ったんですが、専門学校行ってよかったです。
入って絵のうまい人がいっぱいいて、「あーっ」ってなってしまったんですけどね。
そのときまで「絵はうまくなければいけない」、超越しているのがうまいことだと思っていたんです。
でも、卒業ギリギリで卒業制作で、落書きみたいな絵を

「これやりたいと思うんですけど。。」って先生に出してみたら

「なんでもっと早く出さなかったの!」って言われて。

それで、
「ああ、絵はうまくなくてもいいんだ!」って思えるようになったんです。

どんな職業や表現方法であっても、形や見た目として、バランスが整っていたり、
とにかく作り出されたものが美しいと感じれるのものが一番の評価基準なんだろうなあって思ってて。
絵もそうだと思っていたんです。それがやっとそこで覆ったんです。

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―それまでの、絵に対する固定観念がひっくりかえったんですね。

私はずっとグラフィックデザイン科で、イラスト専攻には行かなかったんですけど、
良くも悪くも、絵の技法を学び過ぎず、適度に学んだことがよかったと思っています。
学んで何かやるよりも、そうでないほうが、新しい何かが誕生しやすかったので。
私は学ぶと、すべてをそのとおりにやろうとしてしまうので。

専門はいろんな性格の人や奇抜な人がいたりして、とても刺激を受けました。
自分も、はっきり意見を言うようになりましたね。

それまでは「傷つけるから黙っていればいいんだ」と思っていたことも、専門入ってから言えるようになって。ちなみに「つん」という名前も専門学校でのあだ名なんですよ。
由来の意味はわからないんですけど(笑)

―その名前を得ただけでも大きい収穫ですね(笑)

それから、就活はほとんどしなくて。絵を描きながら、アルバイトとかしていく、そう言う生き方も挑戦としてありかなと思ったので。
卒業してからは正社員とかアルバイトとかこだわらず探しました。

だけどその時期は、いっぱいいっぱいで絵を描く時間がなかなかとれなくて。精神的にも体力的にも。

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(スケッチノートとペン)

でもその年、卒業してすぐの11月。
ひとりで3ブースを借り切ってデザフェスに出たんですよ。

専門の卒業制作で『自分』を表現した横2メートル縦1メートルくらいの絵と、
同じくらいの幅で100枚の絵を描いたんですね。

100枚と1枚で、『理想の自分』と『現実の自分』を表現したんです。

それを3ブースにバーッて。その前の1年がいろいろ精神的に追い詰められていた時期だったので、デザフェスに出ることがリフレッシュであり、そして大きなチャレンジでした。

―1人で3ブースですか!思い切りましたね!で、反応はどうでした?

そのときまで自分の絵がお金になると思わなかったんです。
でも、いろんな方が見てくださって、その中で横浜のショートシアターの方が、

「絵を飾って個展もしませんか」と言ってくださったんです。

そこで、2011年の3月に個展が決まったんです。…で、さあ、気持ちを切り替えて個展!…ってなったときに、震災が起こったんですよ。

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―…ああ、ちょうどその時期でしたか…。どうなりました?

もう搬入も終わっていて、オーナーさんは中止にするのも…と言ってくれたけど、あのときって、なんでも自粛・自粛だったじゃないですか。
それに、自分の絵ってカラフルなので、
無理に元気にさせるように思われるんじゃないかと思って…。

そんな迷いもあったのですけど「見たい」という方も多かったので、
やらせてもらうことになりました。
それも、計画停電とかで会場が休みになる事が多かったので、期間を半月から一か月に伸ばしてもらって。

―でも、私は今お話し聞いていて、やっていてよかったんじゃないかと思いましたね。
ちょっと私の話になりますけど。

私、小旅行程度ですが、今年の春、被災地を話を聞きに回ったんですよ。
そこで気仙沼の仮設商店街の雑貨屋さんで、
「震災直後はとにかく明るい色のもの、花柄のものが飛ぶように売れたのよ。
みんなひどいものばかり見てしまったから、美しいものをとにかく求めていたのね」
というお話を伺って。それを今思い出しました。


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(ライターのツルカワさん)

そうですね。
芳名帳に「暗い気持ちが明るくなった、ありがとうございます」って書いてあって、
その言葉をもらえた時は、個展をやって良かったなと思いました。

―ええ、本当にその通りだと思います。
その個展後、なにかつんさんのなかにも変化はありましたか?


自分の絵なんですけど、さっきも触れましたが、評価して頂けたとしたとしてもお金になるとは思わなかったんですね。
見てもらいたいとも思っていたけど、それを仕事にしようとは思わなかった。
でもいろんな方からアドバイスをもらって、
「自分の絵でお金をもらっていいんだ、自分の価値をあげるためにも自分の絵で仕事していくのは悪い事じゃないんだ」ということが分かりました。
そうしたら、絵に向かう前向きな覚悟が生まれましたね。

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―では、その絵の話ですが…
つんさんの絵は紙からあふれだしてくる色彩や人の表情に
目を奪われますね。目が離せなくなってしまう。
さきほど目の前で実演してくださったとき、すごいスピードで筆を運んでいましたが、
あのときは何を考えていたのですか? 

絵を描いている時っていろんなこと考えているんです。
「こういう絵を描こう」とはまったく思わないんですけど、
悲しい事思いながら描いてたりすると、キャラクターが涙を出していたり…。

写真とかって今、目の前に見えるものを見せることができるけど、心の中って写真は撮れませんよね。
そういう意味において私の絵は、『心の中を形に残すもの』です。

写真に喩えるなら、私の手がシャッターになって、絵が心の中を映すんです。
だから、絵の数だけ「こういうことあったな」と思うんです。
大事な想いを失くしてしまうのがいやなので、
それを残しておけるもの、それが私にとっての『絵』

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―「手がシャッター」ですか。印象深い言葉ですね。

そういう自分の心の中を見てほしい、
『私はこういう人だよ』と知ってほしいから描いているのはありますね。
そして自分の絵で元気になってくれたらうれしい。
私の絵ってキャラクターの肌の色、塗っていないんです。
私の絵がひとつの村だったり国だとしたら、どこの人、どの国の人というのは表したくなくて
「だれか」というふうにしか描いていないんです。
私は差別とかが嫌いで、だから国とか人種とか性別とかも、自分の絵にはないんですよ。

―「だれしも平等で貴重なんだよ」ということも表現しているようにも見えますね。

そうですね。
あと目をクローズアップして描いたバージョンの絵もあるんですけど。
私、目ってすごく好きなんです。一人も同じ目はいませんよね。
目って全部を物語っているような気がして…。
人の本当の部分を表しているようで魅かれます。

だから、とにかく人の目を入れて描きたいという想いがあります。
また、絵の中には下書きで終わるものもたくさんあります。
しまっておいて 半年後に引っ張り出してみたら良い作品になる、そういうことも。
自分の心を動かせる作品じゃないと、人の心も動かせない。感動させられないと思うんですよね。

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― 人といえば、「私の絵は人との繋がりによって完成します」という一文がHPにありますが。これは? 

人の繋がりって、よくも悪くもいいことだけでないし、悪い事だけでもないですよね。いろんな嫌な思いもしたこともあったけど、ひとりでいたら何も感じないし、いい思いもしないし嫌な思いもしない。
そういう意味で、人の繋がりがあってこそ、いいことも悪いことも体験できる…それが繋がりっていうのかなと。

―そういう「人の繋がり」から生まれた感情が、また、絵になっていくというループなのでしょうか。

自分に誇りを持っていえるもの、『絵』というものができたから 
はっきりものをいう自分になって…『絵』がいますごい自分自身になっています。
あと、人から頂いた義理はちゃんと返さなきゃという想いがあって…
私の周囲は、人が軸になっています…感情も、人がいないと感じない感情ばかりなんですよ。

そのなかで、人を繋げてくれたとか、支えてくれたとか、
何か一言下さるだけでも、私にとっては一つの義理。
それも『絵』で返したいんです。

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―HPで、希望者の方に無償で絵をプレゼントする企画もおやりになりましたよね。

はい。
その方々のブログやプロフィールとか記事とか見て60~70人分思い浮かべながら描きました。
みなさんよろこんでいただけて…ブログに載せてくださったり。嬉しかったです。
いま、なかなか進められず申し訳ない思いもしていますが…。

―つんさんはご自身の絵で何を伝えたいのでしょうか。

「こんな私でも伝えることができるんだよ」ということですかね。
今、試みとして絵に言葉をつけて描こうとしているんです。
最近、いろいろ意見を求められたりすることがあるんですけど…
輝かしい何かを持っている人っているじゃないですか。

でも、それってそれまでの、努力なしにはありえなくて。
だけどそれに対して「運がいいからでしょ?」とか「環境がいいからでしょ?」
と言う人がいたり、自分も言われたり。

自分については、確かに環境も良かったし、本当にいろんな事に恵まれているからだと思うんですけど、
他の誰かがそうおもわれているのを見たり聞いたりすると、すごく悔しくて。
それを発信したくても、私から伝えるには、自身のつたない言葉だけじゃ「なんだ?」ってなっちゃう。

そこに私のコミカルな絵に言葉が付いていれば、
作品の言葉としてとってもらえて、伝わることもあるんじゃないかと思って。
色んな人がいるときに、いかにどうしたら、想いを伝えられるんだろう?と考えるんです。
私にとって、その手段は、絵なんですね。

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―なるほど。それぞれの人がそれぞれの得意な手段で何かを伝えていければステキですよね。

海外でも展示をして、再来年にNYで個展があります。伝えたいことはいつもと一緒。日本人の絵だからとか、そういうものすら超えたいと思っています。

―これからどんな絵を描きたい、という想いはありますか? 

私に可能なことであればどんどんやっていきたいですね。『絵』は私自身です。
私自身と良くも悪くも、一心同体のもの。それが『絵』なので。

―では、夢は?…どんな人になりたい、とかでも。

1つの世界観の名前になれるようになりたいです。
ウォルト・ディズニーみたいに、自分の世界観を作り出せる人になりたい。

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―叶えがいのある夢ですね…!では、作品を見てくれる方に伝えたいことがあったら、どうぞ。

すごいいっぱいあるんですけど…まず、もし絵をやりたいと思っている人がいるとしたら…」
うまい下手がすべてじゃない、描いた絵すべてが才能だと思います。
写実的に描ける絵も、何を描いているか一見分からない絵も才能。
誰かが「いい」を決めちゃいけないと思うので。

自分がいいと思うものを出す勇気を持っていれば大丈夫。
やりたいことはどんどんやったほうがいいと思います。

途中、立ち止まる事も時には必要なので、立ち止まったりもしましたが、続けてきたので『今』がある。
何が何でも諦めることだけはしない、という想いできました。

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(ペンを握るその手に想いを込めて)

そのほかの方には…たまに私自身が止まってしまう時もありますが、変わらず応援して頂けたら嬉しいです。
あと、有名になりたいという想いがあります。
そうすることで繋がってくれる人になにかしらの形で大きな恩返しがしたいんです。
手に取れるものではなくて、想いとしてのもので。

―ありがとうございました。では、最後に同じ表現をする人、ものづくりをする人へメッセージをお願いします。

それぞれ大切にしているものってあると思うんですけど、それを曲げちゃいけないと思うんですよね。
いろんな人の意見は一つの意見として、自分はこの人とは違うということがあっても、ひとつでも大切にしている世界観があれば、それを進めていければいいんじゃないかと。
一人でもそれを分かってくれる人がいればそれでいいんじゃないかと。
 
自分とは反する意見を頂いたとしても、その頂いた意見通りに努力するのではなく、
それを糧にして、逆に覆すくらいのパワーと努力を、行動にして行えばいいのかな。
そのひとに認めてもらうとかじゃなくて。
「全員の意見を聞いて、全員の意見を取り入れたら、あなたじゃなくなる」ってよく母に言われるんです。

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(2013.11.18 LUPOPO cafe&galleryにて・聞き手 ツルカワヨシコ)

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2013.09.28 20:58|*作家さんインタビュー
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―まずは、チカダさんのもの作りのきっかけからお話いただけますか?

それが。。。
モノヅクリの出だしが、悲しい話から始まるんです。
20代前半から足の病気を5年くらい患ったんです。
膝の横にナイフで刺されたような鋭い痛みを感じて。
何軒病院に行っても、長らく原因が分からなくて痛みごまかすために、痛み止めだけ飲んでいる感じで…
それでなにかやらないと。
足が思うようにいかないならとにかく手を動かそうと。

―それは大変な思いをされたんですね。お仕事はしてなかったんですか?

仕事はホテルマンだったんですが、体力的にきつかったので続かなくて、そのあと会社の受付を。
契約期間終わるあたりから足を患らったので契約切れて働けなくなって。
自分の存在価値がなくなってしまったような気がしました。
で、足が動かないなら、手を動かそうと思った、それがきっかけなんですよ。

―意外です。昔から手を動かすのが好き、とかそういうことかと勝手に思っていました。

昔ちょっとだけおばあちゃんに編み物を習ったんですけど、ものにはならなくて。
学校の家庭科の授業も普通に楽しいな、くらいでした。むしろ下手でした。

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―そうだったんですか、辛い思いをされましたね。

そうなんです。痛み止めを飲まないと普通の生活ができないレベル。
ちょうどそんな時、兄に子どもが生まれたんです。暗い人生の中に光が見えたような気がしましたね。
働くこともできなかったし、自分の存在価値が見えなかった中で、
自分の血を分けた赤ちゃんが生まれきてくれたことがうれしくて、。
兄の子どもに服とかいっぱい作ったんです。
家族にもありがとうって言ってもらえて。
よろこびを感じました。それでモノヅクリを…。

―じゃあ、最初からかぎ針を使ってものを作られていたわけでもないんですね。

そう、かぎ針じゃなかったんですよ。
最初はクロスステッチとか棒針編みとかなんでもやってみました。
ミシンは目の前にすると緊張してしまう。
棒針だと直せないんですけど、かぎ針は間違えても、ぱぱぱーって直せちゃう。
「これ自分の性格にあっているかもしれない!」って思って。
自分のペースで思い通りにいくハンドメイドがかぎ針だったんですね。
でもその時は、ハンドメイドを仕事にしようというのは全然なくて、
「これ楽しいかも!」っていう直観です。

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―足の痛みはどうなりました?

6年目に原因が分かったんです。足の深いところに腫瘍があって。なかなか見つからない場所だったんです。うわあ、やっと見つかった、それまでは人には言えなかったんですよ。
で、手術することになったんですけど、ホッとしたと同時に、腹が立ってきて。。
20代前半の輝かしい5年間を返せと。その時1ヶ月位ひねくれたんですよ。
でも、これがなかったら、もの作りに出逢わなかったんだよなって。
それまで病気した事がなかったんですけど、病気ってこんなに心をすり減らしちゃうんだ、
心と体ってちゃんと繋がっているんだと気が付きました。

人に何かをプレゼントする時、もらった人は「ありがとう」って言ってくれるけど、
もらってくれるのも愛情なんだな…とも。こちらこそ「ありがとう」って。おかげで今こうやって作家活動していても、もらってくれた人の愛情に気付けるようになりました。
「ああ、無駄な時間じゃなかった」ってやさぐれた間に気付けたんですよね。
その後、手術してリハビリして…それから、すぐ作家活動を始めました。足が動かなくて…とにかく手を動かして「私ここにいていいんだよね」って。病気の時期は自分を否定していたから。

―それからLUPOPOさんに作品を置くことになるわけですね。

雑誌にLUPOPOが載っていたんですよ。
でも私すごい方向音痴なので、面白そうだから行ってみたいけど行けないなと思っていて。
たまたま三軒茶屋に来た時に、駅に行こうとして迷ったんです。
「あーまた迷っちゃったな」って思って。
だけどそのとき、駅に行くはずが、白熱灯の明かりが見えて。それがLUPOPOでした。
「あれ?ここって行こうと思っていた店だ!うわー!着いちゃった」って感じで。
で、
その時かぎ針編みのテイッシュケースを持っていたのでマスターに見せたら、「かわいいですね」って。。
それから手術があって、1年くらい後ですかね、メールしたんです。
「あの時来た女子なんですけど」って。そうしたら覚えていてくれて。

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(店主花井 チカダさん ツルカワさんと一緒に)

―偶然とはいえ、すごいご縁ですね。

私、道に迷って人生の転機に出合うこと、10年に1度くらいあるんですよ。
その10年に一回のひとつが、LUPOPO。ちょっと不思議な。

―では、作品についてお聞きしたいんですけど、当初からナチュラルテイストのアクセサリーだったんですか?

最初からナチュラルテイストは一貫しているんですけど、アクセサリーは作ってなかったんですよ。
シュシュとかカメラケースとか、小物でした。
でもあるときパーツ屋さんに出合って「ああアクセサリーって作れるんだ」って思って、
かぎ針編みで作ったら可愛いんじゃないかなって。
それでアクセサリーをいくつか作ってLUPOPOに置いたんですよ。

そうしたらLUPOPOで、出版社の方が目にとめてくれたんです。
「チカダさんのピアスが好きなんです、ハウツー本に載せませんか」って連絡が来て。
結局、本は企画段階で話が流れちゃったんですけど。
初めて人にハンドメイドでほめられた…嬉しくって。
で、私単純だから「人に褒められた!よし!じゃアクセサリーで行こう!」それが転機です。

だからその出版社の方には、すごく感謝していますね。
あのときピアスを「いい」っていてくれなかったら、
かぎ針のアクセサリー作家ってジャンルは自分で見つけられなかったので。
病気や人との出会いがあって、気づいたらこの場所にいたって感じです。

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―ちなみに、はじめてご自分のアクセサリーを身につけた方を見たときのこと、覚えてます?

着けてくれた人を見たのだいぶ後なんですよね。
すごく嬉しかったです。でも、すごく反省。
客観的にみるとここダメだなあ、もっと頑張らないとなあって。
だから今はモニターの方に頼んでいろいろ聞いてます。
「ここがよかった?ここはダメ?」って。
使い勝手も良く、見え方も良く、しかもchural の世界観が出るように。
って客観視することを大事にしています。

―chural というのはチカダさんのアクセサリーのブランド名ですよね。どうしてブランド名を付けることにしたんですか?

作家名でやっていたんですが、これから作家活動を本気で頑張りたいと思っていたとき、
ブランド名で展開して行きたいと思って、アクセサリーに名前をつけてあげたいなと。
作品のテイストはナチュラルなのは一貫しているので「なちゅらる…」「な・ちゅらる…ちゅらる…chural ?!」できるだけ小さな「ゆ」とか入っていて、かわいい言葉がいいなぁと。意味はないんですけど。
女の子が言って楽しい響きの言葉にしたくて。それでchural 。

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―チカダさんが考えるchural の世界観を教えてください。

私が考えるナチュラルは、ふんわりしている色味…白・生成・リネン・ベージュ…とか。
単純な自分の好みなんですけど。小物やインテリアも、そういうテイストが好きなんです。
でもナチュラルテイストって、ロマンチック・可愛らしすぎるに方に行っちゃいやすい。 
普段使いにしようとすると実用性がなくなっちゃたりする。もちろん個々の好みですが。
アクセサリーは生活で使うものなので、甘すぎない、洋服から浮かない、
大人の女性でもかわいく普段使いで着けられる…
それはchural のポリシーです。

―それは作り続けているなかで生まれてきたんですか?

最初は自分の作りたいデザインを作っていました。使い勝手にまで気が回らなかった。
「でも違うな。いろんな人が使うんだよな」って思って。
いろんな年代や職業の人にとって使い勝手がいいものを作らないとな。
そうやって作りながら見つけていきました。

―石やスワロフスキー選びにもこだわりはありますか?

chural の世界観からはみ出ないように作ってはいますが、
その反面マンネリにもなりやすいので、調整しながら、バランスを取りながら色を選んでます。
配色ってそのブランドのカラーが出るので、色選びにはこだわっていますね。
でも、使う人の声も取り入れています。たとえば「オレンジ好きなんだけれど」とか。
そういう需要にもこたえていこうと。

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―ご自分の世界観を持ちながらも、一方通行ではないんですね。

「こういうふうにしてもらいたい」っていう需要は、貴重な意見で一番分かりやすいです。
大事なのは喜んでもらうことですから。固執せず一度取り入れてから自分の中で噛み砕いて、提示してみます。
だから言ってもらえると嬉しいです。

―大事なのは喜んでもらうこと…ですか。

闘病中、可愛いものを見た時に生きる元気が湧いてきた…っていうのが、chural の原点。
大事にしていたい気持ち。
買ってくれた人がchuralのアクセサリーつけて鏡見たとき「可愛いなあ」「café行きたいなあ」なんて気分になって、
つらいことも忘れられたり、明日からもがんばろうと思ってもらいたいんです。

―常に相手のことを考えながらの、アクセサリー作りなんですね。

女の子に褒めてもらえるアクセサリーを作りたいんですよ。
周りの女の子に「それ可愛いねえ」って褒められているのをいつも想像して作っています。
結構一番うれしいのって周りの友達に褒められることなんですよね。
そこを満たせるアクセサリーを作っていきたい。
仕事帰りや寝る前に、「今日かわいいって言ってもらえたな」って幸せな気持ちになれたり。

―可愛いと言えば、作品だけでなく、あのふわふわしたタグも可愛いですよね。

あのタグをモフモフさわることで、ちょっと安心したり、癒されてもらえたら…
って綿を入れたふわふわしたタグ「モフタグ」を作ったんですよ。作るのにすごく時間かかるんですけどね。
猫を撫でたときに、癒されるなあって感覚で、こうやってタグを押してふわっと感じたときに
「うううん!!」って、その瞬間癒されたり元気が出たり、生きる活力を感じてほしい。

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―生きる活力ですか。うーん、深いですね。タグひとつにこめられた想いが。

いつも思うんですけど…いまの女性の生き方は多彩で。
大人になればなるほど枝分かれしていくんですよね。
例えば、学校に行く・行かない、仕事する・しない、結婚する・しない、子育てする・しない、…
女性のカテゴリーが、わぁぁって広がっていて。
「自分が取り残されているのかな?」と感じているんじゃないかと思ったんですよ。
隣の芝生は青いと感じてしまう、みたいな。

人って本当は空気を吸って太陽を浴びて、それだけでいいのに。
でも社会が複雑化していく中で生きにくさや生きづらさを自分も感じて「女性って大変だな」って思ったんです。

孤独じゃないんだよ」「それでいいんだよ」「楽しく生きようよ」って伝えたい。
「可愛いもの」「きれいなもの」に触れたときに「わぁーっ」って
高まる気持ちが、どんな女性の中にもあると思ったんです。
落ち込んでいるときも、可愛いものを見て「ああいいな」「女の子に生まれてきてよかったな」って
思ってもらいたいし、自分もそう思いたい。
そういう気持ちを引き出すものを作りたい。

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―そうなんですね。たしかに、私もアクセサリー大好きですが、可愛いアクセサリー着けると落ち込んでいるときも、鏡を見て「悪くないぞ、自分!」って思えたりしますね━

私の中でアクセサリーと下着ってジャンル一緒だな、と思うんですよ。
服は絶対ないといけないけど、下着も、まあ、そうですが…でも人には見えないですよね。
それでも、可愛いのもの身にを付けているとき「ちょっと可愛いな自分、ふふっ」って思う。
churalのアクセサリーを着けた人に、自分のことを好きになってもらいたいんです。
自分も悪くない、いいんだって。

―そうやってもの作りをしてきた中で、一番心に残っている作品ってどんなのですか?

それは今から作っていきたいですね。
今『fuwafuwaシリーズ』ってのを作っていて、定番化して行きたいです。
…心に残るもの…それはこれからから作れるように頑張ります。

―作り続けていくモチベーションやインスピレーションはどこから得ています?

caféや雑貨屋や、洋服、街を歩いている女の子を見ますね。
それで「いまああいうの流行っているんだ」「ああいうの可愛いな」って。
インスピレーションは外で湧くことが多いです。なるべくアンテナ張っています。
その時はドーパミン出ていて楽しいです。外でいろんなもの見ていてデザインが浮かんだりします。

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―話はちょっと変わりますが、ツイッターやFBやブログで頻繁に発信していますよね。

ネットって使い方によってはすごく良いツールで自分の情報を瞬時に見てもらえる、これは使いたいなと。
それでなるべく毎日必ず写真1枚は載せています。

その日元気のない人がいるかもしれない、落ち込んでいる人がいるかもしれない 
それがパッと写真を開くことで、「かわいいな」と元気になってもらいたい。
毎日続けることで、見てくれた人が「明日が来るのが怖くない」って思ってもらえたらいいなって。

―写真もすごく素敵ですよね。何かが伝わるような。あれは独学なんですか?

写真は独学です。とにかく説明書を読みました。
いつもは説明書読まないタイプだけど、開いてみたらいいことが書いてあったので。
ペン引いて使い方覚えましたね。あとは感覚。。。
高低差が出るようにとか、配置のバランスを良く撮ったりとか。

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―チカダさんは常に他者と喜びを共有したいんですかね。そう感じます。

そうですね。自分もそこを活力にしたいし、自分も辛い思いをしたし。
辛いこと、寂しいこともあるけど、可愛いものや楽しいことで超えて行こうよ…って。
いつも向こう側には人がいる感じがします。

―人と言えば、作家さん同士のお付き合いはどうですか?

落ち込んだりするところ、繊細すぎるところ、そういうところが「自分はダメなんじゃないか」
と思っていたんですね。病気をしたことも大きかったですし。
でも、そういう自分もいいんじゃないかと思えたのは、作家さんと出会えてから。
作家さんと一緒にいると穏やかでいられるし、自分の居場所を見つけた感じですね。

―どんなお話をしますか?

作品の話もしますし、プライベートな話しもします。
刺激しあいながら励まし合いながら「がんばろうぜ」みたいな感じですね。
…ものづくりをしてるときは孤独ですよね。
「これ可愛いと思うの、私だけじゃないか」ってふっと疑心暗鬼になったりすることとか、かなりあるんですよ。
でも「いや、折れちゃいけない、きっと分かってくれる人がいる」って自分に言い聞かせる。
その繰り返しですね。

でも、そう感じてる時に何かしらのアクションが起こるんですよ。
作家仲間に褒めてもらえたり、ツイッターで「買いました」とか、FBで「いつも見ています」とか。
そういうときに励まされて、これは「折れたらいけない」ってことかな、って思います。
だから落ち込んだりもするんですけど、作り続けます。

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―ああ、分かります。自分もブログとか書いていて「これ誰が読んでるんだろう?」って疑心暗鬼のループに陥りますよ。

クリエイティブな仕事って、人からやれって言われてやるものじゃなくて、
頼まれもせず自分で形にしていくので全部自己責任じゃないですか。
だから、これ誰も買わないかもしれない、ってこともあるかもしれない。
新しい作品を出すときは、いつも恐怖。いつもドキドキしてます。

―それでも作り続けるのはなぜでしょう。

見てくれている人、応援してくれる人がいる事。
「心折れそうになってもあきらめるな」って言ってくれた方がいて。

大阪でカメラ周りの小物を革で作っている『Acru』のオーナーのシノハラさんって方がいるんですけど。
あるイベントに出させてもらったときに、色んな話をしたんですよ。
その方も初めはレンタルBOXから始まっていて。

「自分が今ここまで来て一番悲しかった事は、
才能あるのにやめていった人がいるたくさんいること。
もの作りの世界は孤独だし、心折れることこれからもいっぱいあると思うけど、
チカダもあきらめるな」って。そうやって言ってくれる人がいると思うと、
折れてる場合じゃないんだなって。

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―それは幸せなことですね。日々過ごしていて、どうですか?

写真撮ったり、デザイン考えたり、作品作ったり。
毎日やることいっぱいで、てんてこまいですね。
chural の仕事を「チュラ仕事」って勝手に呼んでいるんですけど。やらない日はないです。

―これからの目標ってあります?

オンラインでchural の作品を買ってもらえるようにしていきたいなと。
少ないんですけどFBとかで海外の方が見てくれるんですよ。
将来的には、日本に向けてと海外にも販売できたらなあと。

―じゃあ、夢ってあります?

夢…。叶っているのかな、と思う時もあるんですけど。
churalの作品を見て、人が幸せに元気になってくれたり、
生きにくさを感じている人がもっと生きやすくなってくれればいいなぁとか…
私はモノヅクリしかできないので。

―それは生涯作り続けていく限り続く夢ですね。

本当だ!大変だ!どうしよう。。。
自分も病気をしたとき、ものを作ることで気が紛れたり、楽しくなったりしたので。
この時代いろんな人がいると思うんですけど、
学校行けない人とか、働けない人とか、家にこもりがちな人とか、なかなか友達ができない人とか。

悩みとか辛い事とかいろいろあるけど、それはちょっと置いといて、一緒に手を動かしてものを作らない?って。
それをきっかけにその人達が社会と触れ合うきっかけになれば。
そんなこともしたいですね。それは真剣に思っています。 

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―やっぱり、チカダさんの心には常に他者がいますね。では、ご自分に…そうですね、病気していた辛かった時期の自分に、今会えたらなんて言います?

…「心折れそうになっても自分をあきらめるな」って。
生き続けていれば、ちゃんと認めてくれる人がいて、ちゃんと助けてくれる人がいて、
ちゃんと自分でいいんだと思える日が来るから。
だから、とりあえずちゃんとごはん食べて、眠りなさい、生きていなさいって、言うと思います。

―ありがとうございました。それでは、お客さんにメッセージをお願いします。

「ありがとうございます」感謝の気持ちしかないです。
たくさんの感謝の気持ち。日々精進していきます、これからもよろしくお願いします。

―では、最後に、同じもの作りをしている人に、メッセージを。

自分がどうしてもの作りを始めたのかって思い出してみるといいんじゃないかと思います。
きっかけと向き合ってみると、自分のことも見えてくる。
もの作りを通して自分は何を伝えたいかも。
そしたら世界に一個しかない素敵なモノたちで溢れて、
もっと素敵な世界になるんじゃないかと。

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(2013.9.2 LUPOPO cafe&galleryにて・聞き手 ツルカワヨシコ)

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2013.09.26 20:00|*作家さんインタビュー
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こんにちは*
店主の花井です。

このブログでは作家さんの作品を沢山紹介してきました。
なんと新着作品の記事も2200件を越えました*

作品を紹介していく中でふっと思った事がありました。

『ものづくりをしている作家さんってどんな人?』

作家さんに焦点を当て、作家さん自身を知って頂く事で
作品の魅力、ものづくりの魅力をより深くお伝えしていきたいと思い
ライターの→ツルカワヨシコさんのお力を借りて、インタビュー記事を始める事にしました。

一つの記事を作りあげるのに
約一ヶ月の期間が掛かってしまいますので、
ゆっくりなペースですが
一人一人ご紹介していきたいと思いますので、お付き合い頂けたらと思います。

さて、

前回の記事→紅若菜さんインタビュー記事に続き

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今回は かぎ針編みアクセサリー chural チカダミヤコさんをご紹介したいと思います。

一体どんなインタビューになったのでしょうか?

ものづくりへの思いや、そこに至るまでの経緯などなど
とっても深い内容となりました、

読み応えのある長さになりましたが、
お時間のあるときにじっくりご覧頂けたら嬉しいです^^

記事公開まで、あと2日。

お楽しみに*




2013.08.21 14:58|*作家さんインタビュー
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―与論島出身なんですね。私、与論島は沖縄だと思っていました…恥ずかしながら。

そう、鹿児島なんです。結構そう思われていますね。文化的にも似ているかも。

―小さなころからものを作ってらっしゃったんですか?

父が看板屋さんなんです。自称画家なんですけど。絵はほとんど売っていないんですが、油絵を描いていて。
なんでも作っちゃうんです。立体物もオブジェも作っちゃう。ぶっ飛んでいる看板屋ですね。
そのそばでなにか作っていた感じでしたかね。
父がずっと家で仕事しているから、そばで怒られない範囲で何かつくっていました。
看板の切れ端で何か作ったり、油絵を描いたり、父の手伝いをしたり。

―与論での暮らしってのはどんな感じですか?

家から歩いて5分くらいで海なんですよ。
父は5時にはきっちり仕事をやめるので、潮がよければ、シュノーケルで潜って、追い込み漁をしたり。
高校まで与論にいました。で、大学から沖縄に行きました。

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(与論島の海と若菜さん)

―中高は何部だったんですか?

美術部でした。

―やっぱり。でも大学は美術系じゃないんですね。

母が塾の先生をしていて「教育学部に行くなら行かせてやってもいいよ」で、
なりゆきで国語の先生を目指すことに。中高の免許をとるため、与論島で教育実習もしましたよ。
みんないい子たちで。美術でやっていく自信はなかった。でも、琉球大学、ラフな感じなんですよ。
離島で特別講義やってバーベーキューやって単位が取れる、みたいな。自由でした。

―紅型と出合ったのはそのころですか?

女子寮に入っていたのですが、美術科の友達がいたんですよね。沖縄の美術でどんどん面白いものを作ってきて。「うらやましいなあ、いいなあ」と思って。「紅型かわいいなあ!」と思って。
周囲見たら紅型のTシャツ着てる人たくさんいるし。それが紅型との出合いです。
でも、紅型を仕事にしようとはまったく思わなかったですね。教員免許取って卒業しました。

―では、卒業後は?

就職しないでアルバイト。
でもそれを見かねた父から「なんかしろ」「そうだよね」
「沖縄にいるんだからいろんな工芸見てもいいんじゃない」「なるほどね!」。
そこでまた紅型を思い出したんですよ。
で、ちょうど、友達が「うちの近くに紅型工房あるよ」っていうから行ってみたら
「なんだ君は」「なにがやりたいんだ」「じゃあ、明日から来るといいな」って。体験もせずに。

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(染め道具。使い込まれて味わいがあります)

―唐突に始まっちゃったんですね。

意外な展開でしたね。お給料の話も聞かずに。もらえるかも払うんだかもわからないのに。

―飛び込んだ工房での修業はどうでしたか?

知らないことばかりで楽しかった。
この染料の中にこれを入れてはいけない、とか全く知識なかったので、
毎日めちゃくちゃ怒られていましたけどね。先生は伝統工芸士。
工房は先生がいて、先輩がいて、一番多い時で7.8人くらいですかね。
…着物と帯を染められるのは先輩で、布って最少は汚れが付いているので、煮なきゃいけないんですけど、
下っ端はぐつぐつ煮えるたらいをひたすらかき回して。クーラーもなく汗ダラダラ。過酷でした。
どんどん痩せましたね。そしたら先輩と2人だけになっちゃって。。。
「先輩どうします」「いや俺辞めるよ」「じゃあ、お先に…」って、1年で辞めることに。ちょっと無理だなあと。作業自体は楽しかったんですけどね。1年の間に帯着物までさわらせてもらったので、
あと型彫りとかは自分で研究をしたり、勉強できるなあ。って。

―修行って厳しいんですね。

そうですね、給料も5万だし、バイト禁止だし、朝7時半から夜7時半までやって、
夜は紅型教室があるときは手伝いがあって。生活が成り立たなかったです。

―でも紅型自体はいやにならなかったんですか?

ならなかったですね。見えてきた。
沖縄は若い作家さんがたくさんいて、Tシャツとかにして卸したりすれば生活できるなと、売り込みに。
まずは国際通りのレンタルボックスに行きました。そこに置いていたら、他のお店の方が見に来てくれて、
次第に置いてくれるお店が増えて行って。

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(染めている様子)

―この時期、インディーズバンドのTシャツやCDジャケット作ったりされていますね。

友達に助けてもらって。大学時代、バンドサークルだったんです。

―どんなバンドだったんですか?

J-POP。ジュディマリくらいから始めて、だんだん、オリジナルになっていく感じ。
そして卒業してから独立した友達とかのバンドとかのCDジャケットとかTシャツとか手掛けて。

―自分が手掛けたものを使ってくれた人を見たときはどうでしたか?

うれしかったですよ。
でも、うーん、実はまだ全然知らない人を街で、ってのは、見かけたことないんですよねー。

―見かけたらどうします?

見かけたらひとりで「ひゃー!」って言って、つぶやくくらいですかね。声は…掛けられるかなー?

―そのほか、夏休みの紅型体験の先生などもやっているのですよね。

これもまた、友達に助けてもらって。バンドの先輩に琉球新報の知り合いがいてとか。
夏休みの子どものための体験教室の人を探していて、引き受けたんです。
小学生相手のむずかしさとかありましたけど。帰っちゃう子とかいるし。
でも紅型教室は楽しいなと思いましたね。
「あー!楽しかった」って帰ってくれる子もいて。何年もやらせてもらいました。

―なるほど。生活はほんとうに紅型一本で?

バイトもやっていました。バイト先の沖縄そば屋さんで沖縄の雑誌見て「若菜もいつか載るといいねー」
「どうしたら載るんですかねー」なんて言っていたんですけど。
でもひとつのことにしか集中できないのでやめることにしました。
とにかくお金なくて、風邪ひいても薬買えなくて、せっぱつまって父に「薬代送ってください」って。
貧乏でしたね。

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(筆を持つ手が素敵)

―それでも紅型をやめなかったのは、なぜですか?

紅型を見てくれる人が、ちゃんといて「若菜の紅型いいよねー」って言ってくれたから。
友達とか。続けて行けば生活もすこしはできるようになるかな、
Tシャツだけでなくほかのものも染めてみたいなーとか考えてみたりと、作ることが楽しかった。

―ちなみに、ブランド名を今の名前に変更したのは?

それまでの名前がありがちだったので。紅型している若菜、で紅和菜。に名前変更。

―そっちのほうが若菜さん「らしい」ですよね。…で、ちょっと紅型の基礎知識についてお聞きしますが、紅型の
柄って自由なんですか?


古典柄、琉球王国時代に確立されたのもあるんですけど、オリジナルの型は戦後になってからできてきました。
今は結構自由に。初めて見た紅型も自由なやつでしたね。
だからか、オリジナルで自由なデザインができる作家さんは素敵だと思っていましたね。

―いまから考えて、沖縄時代ってどんな時代でしたか?

とりあえず貧乏で…。でも、孤独ではなかったです。ちゃんと見てくれる人がいた、続けていくにあたって。
友達とか、委託先の方だったり、大学時代の恩師とか、親も応援してくれたりして…。
友達には助けられまくりでしたね、そこがスタート。一人ではとてもできない。

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(インタビュアーのツルカワさんとのお喋りの様子)

―ご家族はどう若菜さんを見てらっしゃったんでしょう?

家族の反対はなかったですね。父は自由人ですし。
もともとは福島出身で、流れ流れて与論に来た人なので。与論に帰ってこいとも言われなかったですね。

―帰ろうとも思わなかった? 

紅型は沖縄のものなので沖縄にいたほうが勉強できるかなって。

―本当に紅型に惚れこんじゃったんですかね?

そうなんですかね?!

―嫌になることはなかったんですか。

嫌になること…Tシャツを100枚染めるとかは嫌だったですね。
新しい柄作りたくても、追われちゃったり、委託先と「今までの柄じゃなく新しい柄で売れるか」
とかやり取りする難しさもあったり。でも、一人の時間が好きなので。
工房辞めた時も自分は「工房タイプ」ではないと思ったんですね。
工房だと、先生の型紙を使ってひたすら染めたりお教室の準備したり、降ってくる仕事をこなさなきゃいけない。それを考えたら生活は苦しいけどこのほうがいいなと。

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(沢山の筆)

―それで2007年に結婚を機に神奈川に引っ越された。移るにあたってどう思いました?

紅型をできるのかなー、と、やっていっていいのかなー、と。

―やっていっていいのか、というのは。

沖縄本島でやってないと琉球紅型といわない、とか、那覇より北だと違う、とか、いろいろあるみたいなんです。紅型組合とかも入ってなかったけど離れますし…。

―ご主人が神奈川の方だったんですか?

主人は札幌の人。北と南なんですよ。大学が同じだったんです。

―ああ、そういうことですか。でも引っ越すにあたって相当葛藤はあったでしょう?

沖縄の作家さんじゃなくなるなら…ということで取引をやめた委託先もあったり、
紅型をどういうふうに関東で売っていけばいいか、商品展開も変えなきゃいけなかったので不安でしたね。

―それでも思い切ったのは?

結婚するにはこの人以外にはいない、これを逃してまで沖縄にいる理由はないなと。
応援してくれていたんですよ。
SEなので納品書とかHPとかも作ってくれて。なら、続けていけるかも!と。
お店探しとかも一緒に行ってくれましたし。

―それは素敵ですね。で、その翌年にはLUPOPOに出合ってる、と。

下北沢のレンタルボックスで仲良くなった作家さんに
「三軒茶屋にLUPOPOさんっていう超かわいいお店ができるよ」って言われて、
「行きます!行きます!」とその場で。

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(店主 花井と一緒に)

―その場の流れでってのが、多いんですかね?直観には従うタイプ?

そうですね、失敗も多いんですけどねー。

―関東の最初の印象はどうでしたか?

関東。まず、電車に乗れなくて。最初は友達もいなくて。引きこもっていました。
でもやることがあったからよかったです。
新しい型紙を作ったり。主人が髑髏柄が好きで、言われて作ってみたら売れたり。
でも、友達とデザフェスとか出てみて「紅型って沖縄のだよね」って。
意外と紅型が知られていて。それで、もしかしたらいけるかもなあって。
それに、初めて対面で自分の作ったものの反応をダイレクトに感じたんですよね。楽しかったです。
ああそうなんだーって。
ディスプレイのものを外国の人が英語で「わたしはそれがいい」って言って、買っていってくれたり。
あと、ものづくりの友達ができたのは大きかったですね。
主人とも創作の話はするんですが、時々けんかになるんですよ。
彼は作っていないから、効率を求める部分があったりして。「こうしたら?」「いやいやそれはー!」とか。
そういうことものづくりの人と話すと「そういうことあるよねー」って。
あと、タグのつけかたとか、どうしたら作品がステキに見えるかとか語ったりします。

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(紅型がまぐち)

―お教室も始めましたね。

LUPOPOさんで紅型教室。本格的にやったのはここが初めてで。
最初は友達に来てもらったんですけど、それからはみなさん集まってくれて。

―教室での生徒さんの反応はどうでしたか?

「沖縄に行かないとできないと思ってた!」と言われると嬉しいですね。
難しいのは、沖縄の紅型について聞かれること。
沖縄の情報が疎くなっているので、そのときは沖縄の友達に聞いたりします。

―お教室はどんどんその後、増えていってらっしゃいますが、どうですか?

やってみてわかってくることがあります。説明の仕方とか。いかにうまく伝えるか考えたり。
あと、教室をやることで「ああ、私こうやって筆を動かしていたんだ」とか、
無意識にやっていたことが分かったり。「何分くらい浸けるんですか」とか言われて、
あらためて勉強し直したり。

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―そんな若菜さんの作品のオリジナリティ、ってなんだとお考えですか?または、そこがいい!っていわれたこととか。

デザインが古典過ぎなくていいって言われることがありなす。古典過ぎなくって色がきつくない。

―それは現代柄であるというよりかは、生活の中でつかいやすいということでしょうかね?

普段使いしてほしいってのはありますね。紅型着物っていうと手に入らないイメージがあるので。
あまり高すぎなくて、生活の中に紅型があるのっていいなーって思うので。

―生活の中の紅型と言えば、いま、お着物を素敵に着こなしてらっしゃいますけど、その紅型の半襟がまた素敵で。

ありがとうございます。
着物は…あこがれはあったんですが、手の届かないものだったんですね。
それが、LUPOPOさんでの紅型教室のときに着物でいらしたお客さまに、
リサイクルの着物を教えてもらって「まじっすか!」って。
それに、体験もトートバッグくらいしかなかったので「半襟とかいいんじゃない?」って言われて、
教室開かせてもらったんですよね。
そうなると、それにあったものを作れるいい型紙は…というような視点を持てて。
ラインで柄が出たときに、こうするといいなとか。
その上、自分の紅型を日常使いしてほしいというのと、リサイクル着物というのが一致したんですよ。

―なるほど、それは幸せな一致ですよね。紅型の半襟、自分で作ったんです、って言うと驚かれますか?

「えーっ!」ってなってくれると嬉しいですよね。
「これどうしたの」「自分で染めたんですよ~」「あら、あなた、そんな仕事しているの!」「そうなんですよ!」なんて見知らぬおばあさんと話すきっかけになったりして。

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(色鮮やかな半衿)

―今、若菜さんの一日の流れってどんな感じですか?

ずっと染めたり縫ったりメールしたり…ブログ書いたり…してますね。

―もし、紅型が生活から無くなったら…どうします?

紅型が無くなったら…危険ですね!なにをしたらいいかわからない。これがないと困りますね。
ものを見るときに「これ型紙にいけるんじゃないか」「この花かわいいんじゃないか」
という視点が持てたのが大きいんですよ。自分の基準があるみたいな。
旅行とかしても、私、ほわーっと見てしまうんですけど、染め物をやってるぞ、型紙つくるぞって、のがあると、アジアとか行っても「この色合いいいよね」「バックもありか―」とそういう視点を持てたので。

―自分の視点があるってのはいいですよね。それは無くなったらたしかに危険かも。

本当、無くなったらどうやって過ごそう…。

―いま、ものづくりが基盤にある生活を送っていて、どうですか?

楽しいですよ。今、他の作家さんとコラボしたりしているんですけど。
NOKOさんって、福岡に住んでいる方なんですけど、FB上で写真交換しながら作りました。
昔、工房の近くでカフェやっていた方なんですよね。工房の帰りに寄るのが癒しだったんです。
いつか一緒に何かやれるといいなと秘かに思っていたので、ようやく声をかけることができて。
いい意味で手芸感のあるバックが作りかったんですよね、普通に持ち歩ける、おすましの着物用じゃなくて。
結果、想像以上のものができて。「さすがでござんす!」。

―夢がかないましたね。ものを介して人とつながって、人とつながってものができて。じゃあ、いまも孤独じゃない?

いま、日々目論んでいますね。コラボできないかなとかいろいろ考えて、まとまったら「どうですか」って?
自分一人だと限界があるけど、別のプロフェッショナルの人に頼むとまた自分の作ったものが新しく生まれ変わる。
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(NOKOさんとのコラボバッグ)

―では、これから挑戦したいことってありますか?

ダイビングを始めて、海の中が見えてきたんですよね。
だから、海のデザインをいろんな型紙で作ってみたいです。あと与論の植物とか。

―今、若菜さんにとって与論ってどういう存在ですか?

与論はすうーっと帰れて楽しいところ。帰ると近所のみなさんが郷土料理作ってくださったり。
「今度紅型教室やったら行くから!」って言ってくれて。今度与論でやるんですけど。

―凱旋ですね。ちなみに、ものづくりの発端でもあるお父さんはどうですか?

面白がっていてくれるみたいです。
ブログ時々見て「あのデザインはいいな」とか言ってくれます。
でもいつか大きな額に入れて飾れるような大作作ってくれって言われています。

―いろんな人に囲まれて、今の若菜さんがありますね。では最後にお客さんに何か伝えたいことがあったら。

そうですねー。いっぱい、一緒にお出かけしてください。そうしてくれると嬉しいです。

―ではもうひとつ、同じものづくりをしてらっしゃる作家さんに伝えたいこと、あります?

うーん…なんでしょねー…。ものづくりってずっとひとりでやっていますよね、
孤独といえばそうですけど、その時間も大切で楽しいし、外に出てお客さんと会うのも大切で楽しいし。
いろいろやることいっぱいあるけど、大変だけど、続けてやっていくと絶対何かが見える。
だから、紅型にかかわって10年とかなるんですけど、本当に紅型やめなくてよかったなあって。

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(2013.7.29 LUPOPO cafe&galleryにて・聞き手 ツルカワヨシコ)

若菜さんのブログはコチラ→紅型染め屋 紅若菜 *beniwakana*
ツルカワヨシコさんのブログはコチラ→きらめくあなたが、好きだから。


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